大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京家庭裁判所 昭和41年(家イ)1355号 審判

申立人 沢田恭子(仮名)

相手方 沢田章二(仮名)

主文

申立人と相手方を離婚する。

申立人と相手方間の子長男春男、長女咲枝、二男公明の親権者をそれぞれ申立人と定める。

理由

一、申立人の本件調停申立の要旨は、「相手方は申立人と結婚後間もなく働かなくなり、生活も苦しくなったので、申立人は御庁に調停申立をしたところ、相手方はもう一度気持を入え替えるといったり、暴力を振ったりして脅すので、調停申立を取下げた。然るに相手方の態度は改らず、再度話合いの末相手方は申立人との離婚に同意しながら、子供の親権者は自分がなると主張して譲らず、話合いができないので、親権者を申立人と定めて離婚する旨の調停を求める。」というにある。

二、本件申立に基づき、当調停委員会は二回調停期日を開き調停を試みたが、相手方は当裁判所調査官の出頭勧告にも応ぜず、二回とも欠席し、調停は成立する見込がないとして、調停手続は不成立として終了した。

三、ところで、申立人が調停委員会で述べるところ及び当裁判所の調査によると、次のとおりの事実が認められる。

(1)  申立人(昭和四年八月二一日生)は、○○女子商業学校を経て臨時教員養成所を卒業後、昭和二一年から小学校教師として奉職していたが、昭和二五年暮結核のため約一ヵ月間名古屋所在の結核療養所に入所中、たまたま同療養所で療養中の相手方(大正一四年九月一一日生)と知り合い、翌二六年一月退院すると同時に相手方と名古屋で同棲し、同年九月四日婚姻届を了した。当時相手方は、熔接工を職としていたが、間もなく同工場がつぶれたのを機にパチンコ製造工場に転勤した。やがて当事者間に長男春男(昭和二六年一二月三日生)をもうけたが、その直後相手方は単身上京し、向島でパチンコ機械の仕事につき間もなく妻子を呼び寄せた。

(2)  ところが、相手方は昭和二七年ころからヒロポンを打つことを覚え、昭和二八年には中毒して働かなくなり、そのため極度に生活が苦しくなって、夫婦間に風波が生じ、昭和二九年八月一時申立人は子供を連れて郷里の親もとに帰ったが、親に説得されて再び申立人が上京した時には相手方は上野で屋根裏部屋を借りて生活している状態であった。そこで一緒に暮したのも束の間昭和二九年暮から翌三〇年九月まで申立人と子供は一時保護所である上野の神吉寮に入り、相手方はパチンコ屋に住込んだ。その間申立人は長女咲枝(昭和二九年二月二日生)二男公明(昭和三〇年九月一九日生)をもうけたが、昭和三〇年一〇月に至り申立人と相手方は新宿生活館で相談のうえ、母子四人は母子寮に、相手方はアリの街の独身寮に入った。

(3)  翌三一年都営住宅に当選したのを機に、一家五人で同居するに至った。しかし、相手方は前記ヒロポンの注射をやめず、仕事もしないのでやむなく申立人は女工として働き、一家を支えたが、とかく夫婦仲は円満を欠き、昭和三三年ころからは夫婦の関係もなくなった。申立人としては、このままでは一家共倒れになることを憂え、なんとか再出発したいと考えた末、昭和三八年九月一〇日当庁昭和三八年(家イ)第三五六七号夫婦関係調整事件を申立てたところ、相手方は今後心を入れかえ協力すると誓ったので、同年一一月五日事件を取下げた。

(4)  越えて昭和三九年一二月相手方はウツ病が発病し、同愛病院神経科に入院したが、そのころ申立人は職場で申立外川上彰一と親しくなり、昭和四〇年一月から関係を生ずるに至った。同年三月相手方は退院したが、相手方は依然としてヒロポンの注射をやめず、そのため今までひとり一家を支えてきた申立人は生活に疲れ、これ以上とても見込みはないものと考え、ついに長男は相手方に、長女、二男は施設にあずけて家を出、間もなく同年六月から川上と同棲するに至った。一方申立人は、行末を案じ相手方と離婚すべく同年六月一〇日当庁昭和四〇年(家イ)第二六八〇号夫婦関係調整事件を申立てた。しかし同年六月三〇日以降六回にわたり調停期日を開いたが遂に離婚の合意が得られないまま、同年九月八日事件は不成立に終った。ところで、相手方は同年一〇月交通事故にあい、現在○○○病院に入院し、目下生活保護を受けている状態であり、そのため申立人は本年二月から長男を引取り養育しているが、この長男を含め前記施設に入っている二児も父に対する親しみを失ないむしろ川上彰一になつき又川上も申立人と共にしばしば施設を訪づれわが子に対すると同じ愛情をもつて接している。申立人も子供達も川上を得てようやくやすらぎを得たもので、川上と別れて相手方のもとへ戻る気持は全くない。

(5)  上記のように申立人が川上に走った因はといえば、相手方自身が家庭を省みず、かえって妻子に塗炭の苦しみを与えたことによるものであるにかかわらず、相手方はこのことに対する何らの反省もなく、自ら、結婚生活が全く破綻し、再び申立人との結婚生活を継続すことが不可能であるとはっきり表明しながら、ただ、申立人が川上と同棲したことを責め、申立人に対する嫌がらせと意地のために離婚に反対し、二-三〇〇万円の慰謝料を払うなら離婚する、離婚するとしても子供達は絶対渡さないと主張している。

相手方は調査官に対しては多弁で、好きな時には自由に外出しながら、調停期日に出頭しない。

以上の事実が認められる。

四、上記認定の事実によると申立人は形式的には一応有責配偶者であるが、その有責行為も相手方の責任ある行為により申立人と相手方の結婚生活が全く破綻し去った後日のことと認められるから一概に申立人の有責行為のみをたてに、申立人の求める離婚を拒否することはむしろ衡平でない。

然るときは、申立人と相手方の結婚が救われ難いまでに破綻している以上、婚姻を継続し難い事由があるものと認められ、申立人と相手方の離婚を認容することが当事者のため衡平であり、施設に預けられている子供達を一日も早く引きとり、その監護に申立人をして専念せしめることが、家庭の崩壊により子供達の被る被害を最少限度にとどめる途であると判断する。

よって、当裁判所は調停委員会の意見を聴き、当事者双方のため衡平に考慮し、一切の事情を斟酌して、家事審判法第二四条に基いて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 野田愛子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例